弁理士・横田一樹の略歴・実績

 役職

・彩都総合特許事務所 川越オフィス 所長弁理士  事務所HP

・株式会社サイトIP 代表取締役社長  会社HP

 保有資格ほか

・弁理士(特定侵害訴訟代理権付記) 日本弁理士会HP

・技術士(情報工学) 日本技術士会HP

・情報処理技術者(NW:ネットワークスペシャリスト)

・中国語検定(HSK5級)

・情報処理技術者試験委員 2008年~ 情報処理技術者試験HP

・川越技術士会会員 川越技術士会HP

 略歴

・1968年 埼玉県川越市にて誕生
・1984年-1987年 埼玉県立川越高校
・1987年-1991年 青山学院大学理工学部機械工学科
・1991年-2000年 パイオニア株式会社
・2001年-2005年 都内の特許事務所勤務
・2005年 独立開業(株式会社ブライナ取締役、ブライナ国際特許事務所パートナーに就任)
・2008年 事務所名を彩都総合特許事務所に変更
・2014年3月 株式会社ブライナ取締役退任
・2014年5月 埼玉県川越市にオフィスを増設
・2015年6月 栃木県小山市にオフィスを増設
・2016年6月 株式会社サイトIP設立、同社代表取締役社長に就任
・2016年7月 新潟県新潟市にオフィスを増設
・2021年9月 群馬県高崎市にオフィスを増設

現在に至る。

独立開業までの軌跡は、こちらをクリック...

<1968 埼玉県川越市にて誕生>
  
<1984-1987 埼玉県立川越高校>
・父親がエンジニアだったため、 自分もエンジニアを目指して理系に進む。
・このころから、パソコンを使って  プログラミング(主にBASIC)をしていた。
・高校は、一浪して(頑張って)早慶か、  現役(そこそこ頑張って)で  MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)に  入学する人が多かった。
・もう勉強したくなかったので、  現役で合格した青山学院に進学する。

<1987-1991 青山学院大学理工学部機械工学科>
・大学ではバイトや遊びに明けくれ、  勉強はほとんどしなかった。
・もっと勉強しておけばと良かったと、  のちのち後悔することになる。
・要領が良いせいか、なぜか試験の成績だけは良く、 第一希望のパイオニアに推薦してもらう。
・他社に無い独創的な製品を開発するパイオニアに憧れていた。
・でも、地元・川越に開発拠点があり、「自宅から通いやすい」という 不純な動機もあった。

<1991-2000 パイオニア株式会社>
・機械工学科卒業であるが、懇願して  マイコンソフト開発の部署に配属して頂いた。
・約10年間、カーステレオ、カーナビの  組み込みソフトウェア開発に従事した
・バブルの絶頂期であったため、同期が600名くらいおり、 退社するまで会ったことが無い人がたくさんいた。
・プログラミングには少し自信があったので、 仕事はとても順調だったが、 最終的には知的財産部への異動を狙っていた。
・30歳になって弁理士試験の勉強を始めるが、 残業が多く、 勉強時間が取れない状態が続いた。 また、知的財産部への異動も実現しなかった。
・でも、願望が叶って異動していたら、 きっと違う人生を歩んでいたと思う。
※関連記事「弁理士キャリアパス

・2001年に弁理士試験の早期合格と 特許業界への転身を目指して退職した。
・「管理職になる?」みたいなお誘いもあったが、 一部上場企業の管理職に まったく魅力を感じなかった。
・失業保険が貰える期間(6ヶ月)は  すべて弁理士試験の勉強時間に充てることにした
・しかし、このころから特定疾患を持つ家内の体調が悪化し、 入退院を繰り返すようになった。
・弁理士試験勉強、家事、家内の病院の付添い、 この頃から辛い時期が始まった。
・でも、不思議と特許業界でやっていけるという  全く根拠のない自信があった。
・人生で一番勉強した時期だった。 高校生の時に同じぐらい勉強していたら
東大入れたかも。

<2001-2005 都内の特許事務所勤務>
・約4年間、勤務弁理士(イソ弁)として勤務した。
・未経験ながら入所させて頂き、弁理士先生にご指導頂いた。 今でも感謝の気持ちでいっぱいである。
※関連記事「特許事務所の職場環境
 ※関連記事「ストレスの少ない仕事

・弁理士試験の勉強は概ね順調であったが、  家内の病院の付き添いなど、 時間は限られていた。
・仕事はとても順調で、特許明細書を書きまくった。 家内の手術中に、病院の待合室で明細書を  書いたこともあったが、  このときは流石に自分が嫌いになった。
※関連記事「今年一番うれしかったこと

・独立志向が高かったので、試験勉強と並行して営業を始めた。  試験勉強、家事、家内のフォローに、営業が加わった。 寝る暇もなかった。
※関連記事「ギブ&テイク

・2003年に弁理士試験に無事に合格した。 うれしかったが、通過点にすぎないと思った。

・営業活動が実を結び、独立の目途がたった。  一人事務所か共同経営か迷ったが後者を選んだ。
※関連記事「共同経営に決めた理由
・40歳までの独立を目指していたが、37歳で独立できた。
 ※関連記事「独立開業のタイミング

<2005.9 共同経営に参画>
 
<2008 ブログを始めてみる>

<2009.9 開業5年目>

<2010.9 開業6年目>

<2011.6 事務所移転>

<2011.9 開業7年目>

<2012.9 開業8年目>

<2013.9 開業9年目>

<2014.5.29 地元・川越にオフィスを増設>

<2015.6 栃木にオフィスを増設>

<2015.9 開業10周年>

<2016.7 新潟にオフィスを増設>

<2016.9 開業11周年>

<2017.9 開業12周年>

<2018.9 開業13周年>

<2019.9 開業14周年>

<2020.9 開業15周年>

<2021.9 開業16周年>

<2022.9 開業17周年>

 専門分野

・特許(制御工学、組込みソフトウェア、機械分野全般、
メカトロニクス、通信、 コンピュータアーキテクチャ、ビジネスモデルほか)
・実用新案、意匠、商標、
・特許調査、商標調査、審判、審決取消訴訟、侵害訴訟、鑑定、契約ほか

 実績(弁理士として)

<国内出願>(2005年9月独立開業~2020年12月現在)
・特許出願 約2,400件
(うち、未審査出願を除く特許取得件数 約1450件
・意匠登録出願 約100件

<外国出願>
東アジア(中国、台湾、香港、韓国)、オセアニア(オーストラリア)、
東南アジア,南アジア(インド、ベトナム、フィリピン、シンガポール、タイ、インドネシア)、
ヨーロッパ(ドイツ、ノルウェー、イギリス、フランス)、ロシア、北米(アメリカ、カナダ)、
中南米(メキシコ、ブラジル)ほか

<講師、講演>
・2005年-2007年 名古屋大学 社会人向け研修講師
・2008年 知財戦略コンサルティングシンポジウム2008,六本木アカデミーヒルズ,
「知財戦略コンサルティングの実務と、知財戦略コンサルタントに求められるスキル」
・2008年-2010年 知財人材育成事業講師
ほか

<知財コンサルティング>
2006年 特許庁委託・中小企業知財戦略事業に知財コンサルタントとして参加
(鍵メーカの知財支援)
支援内容:職務発明規定見直し、知財体制の構築、知財教育、営業秘密管理など

続きは、こちらをクリック...

・2007年
特許庁委託・中小企業知財戦略事業に知財コンサルタントとして参加
(射出成形ノズルメーカの知財支援)
支援内容:知財体制の構築、知財戦略の立案、保有知財の棚卸しなど

・2008年
関東経済産業局委託・知財人材育成事業に講師(兼知財コンサルタント)として参加
(IC検査機メーカの知財支援)
支援内容:知財戦略の立案、保有知財の棚卸し、知財教育など

・2009年
関東経済産業局委託・知財人材育成事業に講師(兼知財コンサルタント)として参加
(木材加工品メーカの知財支援)
支援内容:保有知財の棚卸し、侵害訴訟に関する助言、ブランド戦略など

(財)埼玉県中小企業振興公社・専門家派遣
(埼玉県川越市/メタルマスク開発メーカの知財支援)

・2010年
四国経済産業局委託・知財人材育成事業に講師(兼知財コンサルタント)として参加
(ゴム加工品メーカの知財支援)

・2012年
(財)埼玉県振興公社・専門家派遣
(埼玉県入間郡越生町/精密板金加工メーカの知財支援)

・2013年
(財)埼玉県振興公社・専門家派遣
(埼玉県入間市/発熱材メーカの知財支援)

 実績(技術士として)

・2008年 技術課題相談会in川越 相談員
・2015年 技術課題相談会inふじみ野 相談員

 趣味

・卓球
・中国語学習
・国内旅行、一人海外旅行
・サックス演奏
・お酒を飲むこと、美味しいものを食べること

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